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鼻をすすると、もうほとんど冬になったひりひりと冷たい空気が涙腺を刺激する。それだけでも泣きだしたくなってしまうのだが、その前に伝えることはしっかり伝えなければ。一度、大きく深呼吸をした。 「・・・別れたい」 胸いっぱいに入り込んだ空気もまた涙腺を刺激して、わたしの第一声は思っていたよりもずっと弱弱しく、産まれたての小鹿の如く震えていた。こんなことなら深呼吸なんてしなければよかった。 何度も何度も心の中で呟き練習した、この言葉に目の前の岬はなんて答えるのだろう。心のほんの少しの隙間にいるどこか落ち着いたわたしが余裕をもって考える。悔しさと恥ずかしさと切なさとの本当にほんの少しの隙間にいるわたしが。 今岬がどんな顔をしているか窺うことなんてできるわけもなく、涙をこらえてうつむいた。 重たい空気の中、口を開いたのは岬だった。 「うん。」 耳を疑った。心の隙間なんて残っているはずがない、胸にこみ上げる何かによって余裕はすべて侵食された。落ち着いたわたしははるか遠くへ投げ出されて、とっさに顔をあげる。 「え」 「別れようか。」 「・・・あ」 喉の奥が詰まって、かすれたような、重たいような「あ」しか発せない。岬の顔も見れぬまま、何か言葉にできない感情、文字として書くことのできない気持ちが浮かんでは消え浮かんでは消え、わたしに残るは思いつめた「あ」だけ。 「じゃあね」 「・・・あ」 待って、本当はそう言いたかった。違うよ。こんなつもりじゃない。 「ま、」 岬は反対側を向くと、ゆっくりと歩き出す。 いやだ、行かないで。 ようやくはっきりとした気持ちが文字になり浮かび上がる、ものの、なかなか声にできない。息が詰まりそうになるほど唾を飲み込み、きもちわるい。 「ま!・・・って・・・。」 「?」 やっとの思いで出した言葉に岬はこちらを振り返る。 わたしの顔を見て一瞬驚いたような口元になったが、またすぐにいつも通り微笑むのだ。 違う。今日初めて見る岬の顔は、いつも通りなんかじゃなかった。すごく悲しそうな顔で微笑んでいた。微笑んでいるというより、困ったような。 それを見て心の中で様々な感情が渦を巻いて、涙になって。だけど泣きたくない、いやだ、こんなの。 涙はわたしの思いに反して、目の淵からぼろりと滑りおちてしまった。 「どうして泣くの」 「・・・わ、別れるって本当に・・・?」 「・・・が決めたことだから」 「みさきは」 「僕は、 ・・・が好きだ。 だからの望むとおりにしたい」 「・・・理由とか、聞かないの」 「聞いたほうがいいのかな」 そうも唐突に問われてしまうと、素直に、うん、だなんて言えない。しかし私の口は先ほどのことが嘘であったかのように軽く、言葉が簡単に出せる。 「・・・岬に、迷惑かけちゃうからさ、」 「うん」 「岬は優しすぎるから」 「うん」 「わたしは我儘だから」 「うん」 「どうして、うんしか言わないの」 「だって僕が『迷惑じゃない』なんて言ったら、が困るでしょ・・?」 ね、そう言って微笑もうとした岬の顔は、もうほとんど泣いていて。涙こそ流してないものの、“悲しそう”をとっくに通り越していた。 そしてその顔をわたしに見せたくなかったのかもう一度反対側を向きなおし、今度こそ振り返ることはない、と言わんばかりに大股でゆっくりと歩きだしてしまった。 もう二度と呼びとめることはできないのだろう。 わたしはどこか期待していたのかもしれない、いや期待していたのだ。 君の優しさが日常になっていたこと |